鉄道唱歌に歌われた南海本線

 南海電鉄は、その前身である阪堺鉄道が1885年に開業した、我が国の純民間資本による鉄道において最古のものです。それ故に南海電鉄は数多くの歴史を刻み、さまざまな文化を育んできました。それを示すものとして、鉄道唱歌に歌われたことが挙げられるでしょう。明治33年に作られた鉄道唱歌第五集 関西・参宮・南海編の五五番から六四番に、当時、和泉山脈を越えて和歌山北口まで達していた南海本線が登場します。では、その歌詞を紹介しましょう。

鉄道唱歌 第五集
関西・参宮・南海編
多 梅稚 作曲
大和田建樹 作詞

五五 北口いでて走りゆく
南海線の道すがら
窓に親しむ朝風の
深日はここよ夢のまに
きたぐちいでてはしりゆく
なんかいせんのみちすがら
まどにしたしむあさかぜの
ふけひ(※1)はここよゆめのまに
五六 尾崎に立てる本願寺
樽井にちかき躑躅山
やまずに来て見ん春ふけて
花うつくしく咲く頃は
おざきにたてるほんがんじ
たるいにちかきつつじやま
やまずにきてみんはるふけて
はなうつくしくさくころは
五七 佐野の松原貫之が
歌に知られし蟻通
蟻のおもいにあらねども
とゞく願いは汽車の恩
さののまつばらつらゆきが
うたにしられしありどおし
ありのおもいにあらねども
とどくねがいはきしゃのおん
五八 貝塚いでしかいありて
はや岸和田の城の跡
こゝは大津かいざさらば
おりて信太の楠も見ん
かいづかいでしかいありて
はやきしわだのしろのあと
ここはおおつかいざさらば
おりてしのだのくすもみん
五九 かけじや袖とよみおきし
その名高師が浜の波
よする浜寺あとに見て
ゆけば湊は早前に
かけじやそでとよみおきし
そのなたかしがはまのなみ
よするはまでらあとにみて
ゆけばみなとははやまえに
六〇 堺の浜の風景に
旅の心もうばわれて
汽車のいづるも忘れたり
霞むはそれか淡路島
さかいのはまのふうけいに
たびのこころもうばわれて
きしゃのいづるもわすれたり
かすむはそれかあわじしま
六一 段通刃物の名産に
心のこして又も来ん
沖に鯛つる花の春
磯に舟こぐ月の秋
だんつうはもののめいさんに
こころのこしてまたもきん
おきにたいつるはなのはる
いそにふねこぐつきのあき
六二 蘇鉄に名ある古寺の
話きゝつゝ大和川
渡ればあれに住吉の
松も灯籠も近づきぬ
そてつになあるふるでらの
はなしききつつやまとがわ
わたればあれにすみよしの
まつもとうろもちかづきぬ
六三 遠里小野の夕あらし
ふくや安倍野の松かげに
顕家父子の社あり
忠死のあとは何方ぞ
とおざとおの(※2)のゆうあらし
ふくやあべののまつかげに
あきいえふしのやしろあり
ちゅうしのあとはいずかたぞ
六四 治まる御代の天下茶屋
さわがぬ波の難波駅
いさみて出づる旅人の
心はあとに残れども
おさまるみよのてんがちゃや
さわがぬなみのなんばえき
いさみていづるたびびとの
こころはあとにのこれども

(※1)深日、(※2)遠里小野の読みはそれぞれ「ふけ」、「おりおの」が正しいが、歌詞では「ふけひ」、「とおざとおの」となっており、作詞者が誤ったものと思われる。

2005/9/6