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海側 撮影日:2010年10月10日
山側 撮影日:2021年3月14日
歴 史 | ||||||||||||||||||||
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所 在 | ||||||||||||||||||||
大阪府大阪狭山市狭山四丁目 [地図] |
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乗り換え | ||||||||||||||||||||
なし |
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停車種別 | ||||||||||||||||||||
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配線図 | ||||||||||||||||||||
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設 備 | ||||||||||||||||||||
トイレ・多機能トイレ |
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解 説 | ||||||||||||||||||||
駅西側に位置する狭山池は古事記、日本書紀にその名が登場する日本最古の灌漑用のため池で、古くから水辺や堤防が人々の憩いの場となっていた。明治のはじめには桜の時期に茶店を開いたり、花火大会が行われたという。この地に駅が開業したのは大正になってからで、所在地の地名から河内半田と名づけられ、周辺で産出した粘土やレンガの運搬に用いられた。 昭和13年、狭山池東側の狭山藩下屋敷跡地を譲り受け、狭山遊園が開園した。戦時中は閉鎖され、園内はイモ畑になっていたが、昭和24年4月に営業を再開。これに合わせて翌年駅名を狭山遊園前に改称した。 昭和27年、狭山遊園の営業を休止して狭山池の水面を利用した競艇場、狭山競走場がオープン。モーターボートレースが開催されたが、この経営は思わしくなく、干ばつにより狭山池の水が干上がってしまったため、昭和31年をもって競艇場は住之江に移転することとなった。 昭和34年4月、バラ園などの施設を整備して「花のさやま遊園」として再出発し、夏はプール、冬はスケートリンクでににぎわったが、年間54万人をピークに入場者数者は減少し、2000年4月1日をもって閉園した。駅名はその後、公募により大阪狭山市へと再び改称された。 改札口は相対式ホームそれぞれに独立して設置されており、駅構内での上下ホームの移動はできない。 |
撮影日:2021年3月14日
撮影日:2021年3月14日
撮影日:2012年8月16日
撮影日:2010年10月10日
2021/4/1