おおさかさやまし
大阪狭山市
OSAKASAYAMASHI
金剛 狭山
KONGO SAYAMA


海側 撮影日:2010年10月10日


山側 撮影日:2021年3月14日


歴 史

大正6(1917)年7月5日   河内半田として開業
昭和25(1950)年4月1日   駅名を狭山遊園前に改称
平成12(2000)年12月23日   駅名を大阪狭山市に改称

所 在

大阪府大阪狭山市狭山四丁目 [地図

乗り換え

なし

停車種別


配線図



設 備

トイレ・多機能トイレ

解 説

 駅西側に位置する狭山池は古事記、日本書紀にその名が登場する日本最古の灌漑用のため池で、古くから水辺や堤防が人々の憩いの場となっていた。明治のはじめには桜の時期に茶店を開いたり、花火大会が行われたという。この地に駅が開業したのは大正になってからで、所在地の地名から河内半田と名づけられ、周辺で産出した粘土やレンガの運搬に用いられた。
 昭和13年、狭山池東側の狭山藩下屋敷跡地を譲り受け、狭山遊園が開園した。戦時中は閉鎖され、園内はイモ畑になっていたが、昭和24年4月に営業を再開。これに合わせて翌年駅名を狭山遊園前に改称した。
 昭和27年、狭山遊園の営業を休止して狭山池の水面を利用した競艇場、狭山競走場がオープン。モーターボートレースが開催されたが、この経営は思わしくなく、干ばつにより狭山池の水が干上がってしまったため、昭和31年をもって競艇場は住之江に移転することとなった。
 昭和34年4月、バラ園などの施設を整備して「花のさやま遊園」として再出発し、夏はプール、冬はスケートリンクでににぎわったが、年間54万人をピークに入場者数者は減少し、2000年4月1日をもって閉園した。駅名はその後、公募により大阪狭山市へと再び改称された。
 改札口は相対式ホームそれぞれに独立して設置されており、駅構内での上下ホームの移動はできない。


撮影日:2021年3月14日


撮影日:2021年3月14日


撮影日:2012年8月16日


撮影日:2010年10月10日

2021/4/1